もうすぐ1970年になる年の夏の日。70年というキリの良い数字がとても新しく思え、またその年には大阪万国博があるということでとても未来は輝いて見えた。小学校5年の児童の頭では万国博というイベントをイメージできなかったし、実際次の年の万国博は子供の想像を遥かに越えたお祭りだった。(大阪万博パビリオンの写真はこちら)いろいろびっくりした事だらけだったが一番驚愕したのは国連館。いま現在の世界の人口をデジタル表示していた。わたしはすべての国のすべての町役場にこのイベントのためにスイッチかなにかを設置して出生届がだされると白いボタン、死亡届がだされると黒いボタンをおしてそのデータが世界津々浦々から大阪千里に集まり表示されていると信じきっていてその「偉業」に驚嘆していた。いまから考えるとただ一年に世界の人口が何人増えるというデータから一分に何人ふえるという事を導きだして表示しているだけだと分かったけど。
話をもどそう。
その夏に名古屋市立名城小学校の5年だったわたしは小学校の林間学校に比叡山延暦寺に出かけていた。現在では名古屋市立の小学校の林間学校は中津川野外教育センターで統一されているが当時は学校ごとに違う場所で林間学校が開かれていた。
その年の林間学校は延暦寺の寺域で行われ最澄が建立したときから1200年続いている法灯がある根本中堂を拝んでからグループに分かれスタンプラリーのようなことをした。夜には宿坊の広間でミニ運動会のような事をした記憶があるがその最中に先生がラジオで聞いていたのが西山千の同時通訳のアナウンスで伝えたアポロ11号着陸の様子だった。西山さんのちょっと風変わりな声が月に人類が着陸するというイベントに神秘性を与えていたような気がする。比叡山の深き森に響く西山千の同時通訳の声。これがわたしの「未来」のイメージとなった。44年前の今日。わたしは7月21日と覚えていたが実はアメリカ時間で1968年7月20日だったことは今日気がついた。
薬師寺高田好胤師も出ていてこの世界的イベントは人類の宗教儀式の趣。